ボーディングブリッジ(搭乗橋)を渡り、機内へ足を踏み入れた瞬間に聞こえてくる澄み渡るメロディ。あるいは目的地へ到着し、シートベルト着用サインが消えて降機する際に流れる優雅なBGM——。
航空ファンの間で**「フライトBGM」「搭乗音楽」「機内BGM」「ボーディングミュージック(Boarding Music)」**と呼ばれるこれらの楽曲は、単なる機内のバックグラウンドミュージックではありません。各国のフラッグキャリアや主要航空会社(エアライン)が、ブランディング、乗客の安心感醸成、そして「これから旅が始まる」という高揚感を演出するために計算し尽くしたアンセム(象徴曲)です。
ANAの『Another Sky』やJALの『I Will Be There with You』といった国内の双璧はもちろん、エミレーツ航空、カタール航空、シンガポール航空、ユナイテッド航空など、世界各国の搭乗音楽の代表曲から、音源の入手方法、さらには機内オーディオの歴史まで詳しく解説します。
日系二大エアラインが誇る神曲「Another Sky」と「I Will Be There with You」
日本の航空ファンやマイラーにとって、最も耳に馴染み、搭乗時に胸が高鳴るのがANA(全日本空輸)とJAL(日本航空)のテーマ曲です。
ANA(全日本空輸):葉加瀬太郎『Another Sky』
ANAの機内で搭乗・降機時に流れる『Another Sky(アナザースカイ)』は、ヴァイオリニストの葉加瀬太郎氏によって作曲されたフライトBGMの最高峰です。躍動感あふれるヴァイオリンのメロディと、躍動するリズムが「空への旅立ち」を見事に表現しています。
葉加瀬氏自身が世界中を旅する中で構想を得たとされ、2002年に搭乗曲として採用されて以来、20年以上にわたってANAの象徴として愛され続けています。定期便の機内だけでなく、ラジオ番組『JET STREAM』の対極をなす現代のフライトミュージックとしても不動の地位を誇ります。
JAL(日本航空):デイヴィッド・フォスター『I Will Be There with You』
一方、JALの国際線・国内線搭乗時に流れる洗練されたBGMが、グラミー賞プロデューサーであるデイヴィッド・フォスター(David Foster)氏が手掛けた『I Will Be There with You』です。
もともとはJALのプレミアムエコノミークラス導入やブランド刷新(2007年〜)にあわせて書き下ろされた楽曲で、透明感あふれるピアノの旋律が旅の不安をやさしく包み込みます。このほか、JALの降機時には『明日の翼』や、久石譲氏作曲の『Only Our Railway』(旧JALイメージ曲)など、時代ごとの名曲が受け継がれています。
| 航空会社(エアライン) | 代表的な搭乗曲(ボーディングミュージック) | 作曲者・アーティスト | 楽曲の特徴と雰囲気 |
|---|---|---|---|
| ANA(全日本空輸) | Another Sky(アナザースカイ) | 葉加瀬太郎 | 華やかで躍動感あるヴァイオリン。高揚感と爽快感あふれる旋律 |
| JAL(日本航空) | I Will Be There with You | David Foster(デイヴィッド・フォスター) | 優雅で洗練されたピアノ&ストリングス。包容力のあるメロディ |
| スターフライヤー(SFJ) | A Day in the Sky 他 | オリジナルBGM / Jazzアレンジ | 黒を基調とした機内に映えるシックでスタイリッシュなジャズ・アンビエント |
| シンガポール航空(SIA) | The Sound of Singapore Airlines | Dominic Murcott / バティックサウンド | 民族衣装バティックのモチーフとオーケストラが融合した幻想的な音色 |
| ユナイテッド航空(UAL) | Rhapsody in Blue(ラプソディ・イン・ブルー) | George Gershwin(ガーシュウィン) | クラシカルなジャズの名曲。アメリカの空を象徴する壮大なオーケストレーション |
| エミレーツ航空(UAE) | Emirates Boarding Music | オリジナル(中東フュージョン) | アラビア伝統楽器(ウード等)とシネマティックオーケストラの豪華な融合 |
世界の主要航空会社(海外系エアライン)の名曲と演出の秘密
フライトBGM(各国搭乗音楽)の面白さは、各国の文化や民族性、ブランド戦略がダイレクトに音に現れている点にあります。
1. ユナイテッド航空:ガーシュウィン『ラプソディ・イン・ブルー』
アメリカのユナイテッド航空は、ジョージ・ガーシュウィンの不朽の名曲『Rhapsody in Blue(ラプソディ・イン・ブルー)』を長年にわたりブランドソングとして使用しています。クラリネットのスライドから始まるあのお馴染みのメロディが機内やTVCMで流れると、一気に「アメリカへの旅」が始まります。
2. 中東御三家(エミレーツ・カタール・エティハド)のラグジュアリー音響
中東のメガキャリアであるエミレーツ航空やカタール航空のボーディングミュージックは、映画音楽(シネマティック・スコア)のようなスケール感とアラビアの伝統楽器(ウードやカヌーン)の旋律が融合しています。機内のLEDライティング(星空イルミネーション)と相まって、一足飛びに異国へトリップしたかのような高級感を演出します。
3. シンガポール航空:サウンド・ブランディングの極み
シンガポール航空は、客室乗務員(サロンケバヤを纏うシンガポールガール)の制服「バティック柄」の視覚的イメージを音楽へと昇華させた『The Sound of Singapore Airlines』を展開。機内に入った瞬間の香り(バティック・フローラ)と音楽が一体となり、五感すべてでブランドを記憶させる高度な音響ブランディングを行っています。
なぜ機内BGMを聞くと心が落ち着くのか?心理的効果と機内音響の裏事情
「飛行機に乗る直前、パニックや閉塞感、不安を感じやすい」という乗客は少なくありません。航空会社が搭乗音楽に情熱を注ぐ背景には、心理学的な理由が存在します。
- 搭乗時の混雑ストレス軽減:手荷物の収納や通路の渋滞で殺気立ちやすい搭乗時に、ゆったりとしたテンポ(BPM 60〜80前後)の音楽を流すことで心拍数を落ち着かせる。
- 機内騒音(ジェットエンジン音等)のマスキング:補助動力装置(APU)のブーンという暗騒音や空調音を和らげ、快適な空間を作る。
- ブランドのすり込み効果:旅の始まりと終わり(思い出のシーン)に同じ音を聞かせることで、次回も同じ航空会社を選びたくなる心理的アンカリング(定着)効果を生む。
航空機の安全基準や運航仕様については、国土の交通管理を担う国土交通省(航空局)の安全基準に従い、機内アナウンスや緊急時放送(PAシステム)が最優先される設計になっています。搭乗音楽は、パイロットやキャビンアテンダント(CA)の操作パネル(FAP:Flight Attendant Panel)から音量が微調整され、ドアオープンから離陸準備(ドアモード変更)のタイミングで静かにフェードアウトする運用が徹底されています。
「機内で聞いたあの曲を自宅や通勤中に聴きたい」という人が増えており、近年ではSpotifyやApple Music、YouTubeなどの公式配信アカウントで「Boarding Music」の公式プレイリストが公開されています。
ただし、一部の限定アレンジや旧バージョンのBGMは、CD(『ANOTHER SKY』アルバムや『JAL JET STREAM』記念盤等)でしか手に入らない貴重な音源も存在します。
フライトBGMを自宅や日常で100%楽しむためのまとめ
かつては「機内に行かなければ聴けない幻の音楽」だった各国航空会社の搭乗音楽・BGMですが、現在ではストリーミングサービスやサブスクリプションで手軽に高音質音源を楽しむことができます。
- 旅の気分を高めたい時:搭乗前の羽田・成田空港へ向かう電車や、自宅でのパッキング中にANAやJALのテーマ曲を流す。
- 作業用BGM・集中タイム:シンガポール航空やスターフライヤー、中東系エアラインのアンビエント系フライトBGMを作業用に活用する。
- エアラインごとの違いを楽しむ:スターアライアンス、ワンワールド、スカイチームといった航空連合(アライアンス)ごとの音づくりの違いを聴き比べる。
普段何気なく耳にしている機内のメロディ。その一音一音に込められた航空会社の情熱と歴史に思いを馳せながら、次回のフライトへ向けて「耳から始める空の旅」を楽しんでみてはいかがでしょうか。